復習 ☆ 2月の教え
…ねえー、ニコちゃん~
あのさー
いまさらなんだけどさー、今日のダルシャンの前に復習しておく
2月の教えって、何だっけー?
という方が多かったので
コピーさせていただきます。
みなしゃ~ん、頭にインプットしてから、お昼に受けようね
2月の教え
あなたの考えは、あなたの考えではありません by Sri BHAGAVAN
毎月、私は皆さんに宿題を出します。今日のスカイプ・ダルシャンまでにそれについて考え、勉強してみてください。私はそれがウェブサイトにあるかどうか知りませんが、すでに3,4箇所でそれについて話したと思います。でもこれからそれについて話しますから、皆さんは2月はそれについて深く考えてみる必要があります。そしてディクシャを受け、与えてください。その結果、皆さんがより高い意識の状態に到達することを願っています。そして翌月のミーティングではそれに関する質問をしてください。
次のことについて深く考えてみてください…「考えは自動的に生じている」。つまり考えているキャロルという人がいるのではなく、考えが自動的に生じているということです。「話し」(スピーチ)にしても話す人がいるのではなく、自動的に起きています。「行動」もあなたがその行動をしているのではなく、常に行動が生じているのです。ですから、それ自体で自動的に生じています。ですから、皆さんはそれを見る必要があります。「話し」が自動的に生じ、「考え」が自動的に生じ、「行動」が自動的に生じるのを見るのです。それは実際に起きている事実です。
例えば、「考え」を見てみましょう。あなたはキャロルという名前の考える人がいると思っています。でも、そのような考える人はいません。ただ「考える」という機能があり、それが頭の中で自動的に生じているのです。あなたが自動的に呼吸し、身体は体温を自動的に保ち、消化活動が自動的に生じているように。それと同じように「考える」ということも自動的に生じます。「考えるあなた」という人がいる、というのは単なる思い込みであり、円を描くと中心が現れるのと同じです。それと同じように、「考える」というイリュージョンが生じるのです。「考える人」というのは全く存在しません。
同じように「話し」(スピーチ)にしても自動的に生じます。あなたは自分が話していると思うかもしれませんが。「行動」についても同じです。例えば、キャロルという人が「自分は腕を動かすと決意して、自分が腕を動かした」と考えます。しかし、もしキャロルの脳をリアルタイムで観察してみると(今日それは可能ですが)、腕を動かす何分の1秒か前にキャロルの脳は腕を動かすと決めたのです。しかし彼女は、自分が腕を動かすと決めたので腕が動いたと思いこみます。全ては自動的に生じています。
同じように身体に関しても、「あなたの身体はあなたの身体ではない」ことを理解する必要があります。なぜなら、この人間の身体は何百万年も昔からあるものです。あなたがそれをデザインしたわけではありません。あなたがそれを変えることはありません。そしてあなたが思い描いたわけでもありません。そこにはあなたの役割はありません。あなたが育てるわけでもありません。それ自体で育っていくのです。ですから、「あなたの身体はあなたの身体ではありません」、「あなたのマインドはあなたのマインドではありません」、「あなたの考えはあなたの考えではありません」。
例えば素敵なドレスがあるとします。キャロルは、これは私のドレスだと考えます。でもキャロルがそのドレスをデザインしたのでしょうか?違います。彼女が作ったのでしょうか?違います。キャロルが布地を織ったのでしょうか?違います。キャロルが材料の綿花を育てたのでしょうか?違います。そこにはキャロルの役割は何もありません。それなのにキャロルは、これは自分のドレスだと言います。
同じように、「考え」も何百万年も昔からあるものです。それはキャロルの考えではありません。思考層というものがあり、考えはそこから来て、去っていきます。それなのに、「これは私の考えだ」と思うのです。それは彼女の考えではありません。身体も同じで、彼女の身体ではありません。マインドも同じです。彼女のマインドとは何でしょうか?考えが流れてきます。それは太古の昔からの考えです。それは彼女のものではありません。
そして「自分」(セルフ)というものがあり、私はそこにいると考えます。でもそのような分離感も概念に過ぎません。イリュージョンです。彼女のものは何もありません。それなのに、考え、身体、マインドなどを自分と思い込み、自分というものが存在すると考えています。それは間違った自己同一化です。自分がそうであると思い込むのです。それは「知性の失敗」です。それがレベル2で扱う知性です。知性が生じると、「間違った自己同一化」が消えていきます。その結果、「自分はもはや考え、マインド、身体ではない。いわゆる自分(セルフ)ではない」、とわかります。自分というものは存在しないのです。ですから、あなたはそれを知的に理解する必要があります。そして知的に理解したら、それについて深く考えるのです。その後で、ディクシャを与え、受け取ります。ディクシャを受けるよりも与える方がよりパワフルになります。ですから、それを続けてください。
突然、あなたは自分がマインドの外にいることがわかるでしょう。今、あなたはマインドの中にいます。あなたはマインドのなかで全てを探し求めています。そしてマインドの中には苦しみしかありません。なぜなら、マインドとは限界、制限だからです。制限のなかには分離があり、分離の中には分割があり、分割の中には葛藤があります。葛藤があるとエネルギーが浪費されます。それはつまり、惨めさ、苦しみということです。しかし、エネルギーが失われなければ、そこにはエネルギーの静けさがあり、それは瞑想であり、喜びであり、至福、愛なのです。
ですから、あなたが行ってきたことはマインドという枠の中、つまり牢獄の中でいろいろな家具を美しく配置し、家族の小さな安全を確保し、僅かな幸せ、名前、名声などを得ようとしてきました。それこそ美しくアレンジしようとします。しかし、それは苦しみのやりくり(マネージメント)です。私はそれに反対しているわけではありません。それをやりなさい。しかしその場合、本当の意味で「生きる」ということはありません。あなたはただ美しく存在しているだけです。
今、あなたはマインドという牢獄から出るのです。もしあなたがこの教えについて深く考え、そしてディクシャを与え、受け取るなら、何か変化が生じるのがわかるでしょう。徐々に、マインドと呼ばれる牢獄から出て行くのがわかるでしょう。マインドの外に出ると、あなたは自分の考えを見ます。「考える」ということが生じますが、あなたが考えているのではありません。「話し」(スピーチ)が生じており、あらゆる行動が生じているのがわかります。美しく生じており、完全です。あなたがそれらに自己同一化している時のみ、そこに無秩序、不完全性があるのです。ひとたび外に出れば、呼吸、消化活動など全てが自動的に生じています。そこには正しい行動、間違った行動というものはありません。それは完全な行動であり、それ自体で生じています。そしてあなたはその外側にいます。それだけです。その時、あなたが私に質問する純粋な愛を体験しています。マインドの外に出た時、そこにあるのは純粋な愛です。純粋な喜びです。しかし、マインドの中では決してそれを得ることはありません。ですから、それら全てのドラマがマインドのなかで行われています。次に会う時にはあなたがマインドの外に出ていることを願っています。そしてマインドがそこで機能しているのを見てください。
(翻訳:高橋恵美さん)
あのさー
いまさらなんだけどさー、今日のダルシャンの前に復習しておく
2月の教えって、何だっけー?
という方が多かったので
コピーさせていただきます。
みなしゃ~ん、頭にインプットしてから、お昼に受けようね


あなたの考えは、あなたの考えではありません by Sri BHAGAVAN
毎月、私は皆さんに宿題を出します。今日のスカイプ・ダルシャンまでにそれについて考え、勉強してみてください。私はそれがウェブサイトにあるかどうか知りませんが、すでに3,4箇所でそれについて話したと思います。でもこれからそれについて話しますから、皆さんは2月はそれについて深く考えてみる必要があります。そしてディクシャを受け、与えてください。その結果、皆さんがより高い意識の状態に到達することを願っています。そして翌月のミーティングではそれに関する質問をしてください。
次のことについて深く考えてみてください…「考えは自動的に生じている」。つまり考えているキャロルという人がいるのではなく、考えが自動的に生じているということです。「話し」(スピーチ)にしても話す人がいるのではなく、自動的に起きています。「行動」もあなたがその行動をしているのではなく、常に行動が生じているのです。ですから、それ自体で自動的に生じています。ですから、皆さんはそれを見る必要があります。「話し」が自動的に生じ、「考え」が自動的に生じ、「行動」が自動的に生じるのを見るのです。それは実際に起きている事実です。
例えば、「考え」を見てみましょう。あなたはキャロルという名前の考える人がいると思っています。でも、そのような考える人はいません。ただ「考える」という機能があり、それが頭の中で自動的に生じているのです。あなたが自動的に呼吸し、身体は体温を自動的に保ち、消化活動が自動的に生じているように。それと同じように「考える」ということも自動的に生じます。「考えるあなた」という人がいる、というのは単なる思い込みであり、円を描くと中心が現れるのと同じです。それと同じように、「考える」というイリュージョンが生じるのです。「考える人」というのは全く存在しません。
同じように「話し」(スピーチ)にしても自動的に生じます。あなたは自分が話していると思うかもしれませんが。「行動」についても同じです。例えば、キャロルという人が「自分は腕を動かすと決意して、自分が腕を動かした」と考えます。しかし、もしキャロルの脳をリアルタイムで観察してみると(今日それは可能ですが)、腕を動かす何分の1秒か前にキャロルの脳は腕を動かすと決めたのです。しかし彼女は、自分が腕を動かすと決めたので腕が動いたと思いこみます。全ては自動的に生じています。
同じように身体に関しても、「あなたの身体はあなたの身体ではない」ことを理解する必要があります。なぜなら、この人間の身体は何百万年も昔からあるものです。あなたがそれをデザインしたわけではありません。あなたがそれを変えることはありません。そしてあなたが思い描いたわけでもありません。そこにはあなたの役割はありません。あなたが育てるわけでもありません。それ自体で育っていくのです。ですから、「あなたの身体はあなたの身体ではありません」、「あなたのマインドはあなたのマインドではありません」、「あなたの考えはあなたの考えではありません」。
例えば素敵なドレスがあるとします。キャロルは、これは私のドレスだと考えます。でもキャロルがそのドレスをデザインしたのでしょうか?違います。彼女が作ったのでしょうか?違います。キャロルが布地を織ったのでしょうか?違います。キャロルが材料の綿花を育てたのでしょうか?違います。そこにはキャロルの役割は何もありません。それなのにキャロルは、これは自分のドレスだと言います。
同じように、「考え」も何百万年も昔からあるものです。それはキャロルの考えではありません。思考層というものがあり、考えはそこから来て、去っていきます。それなのに、「これは私の考えだ」と思うのです。それは彼女の考えではありません。身体も同じで、彼女の身体ではありません。マインドも同じです。彼女のマインドとは何でしょうか?考えが流れてきます。それは太古の昔からの考えです。それは彼女のものではありません。
そして「自分」(セルフ)というものがあり、私はそこにいると考えます。でもそのような分離感も概念に過ぎません。イリュージョンです。彼女のものは何もありません。それなのに、考え、身体、マインドなどを自分と思い込み、自分というものが存在すると考えています。それは間違った自己同一化です。自分がそうであると思い込むのです。それは「知性の失敗」です。それがレベル2で扱う知性です。知性が生じると、「間違った自己同一化」が消えていきます。その結果、「自分はもはや考え、マインド、身体ではない。いわゆる自分(セルフ)ではない」、とわかります。自分というものは存在しないのです。ですから、あなたはそれを知的に理解する必要があります。そして知的に理解したら、それについて深く考えるのです。その後で、ディクシャを与え、受け取ります。ディクシャを受けるよりも与える方がよりパワフルになります。ですから、それを続けてください。
突然、あなたは自分がマインドの外にいることがわかるでしょう。今、あなたはマインドの中にいます。あなたはマインドのなかで全てを探し求めています。そしてマインドの中には苦しみしかありません。なぜなら、マインドとは限界、制限だからです。制限のなかには分離があり、分離の中には分割があり、分割の中には葛藤があります。葛藤があるとエネルギーが浪費されます。それはつまり、惨めさ、苦しみということです。しかし、エネルギーが失われなければ、そこにはエネルギーの静けさがあり、それは瞑想であり、喜びであり、至福、愛なのです。
ですから、あなたが行ってきたことはマインドという枠の中、つまり牢獄の中でいろいろな家具を美しく配置し、家族の小さな安全を確保し、僅かな幸せ、名前、名声などを得ようとしてきました。それこそ美しくアレンジしようとします。しかし、それは苦しみのやりくり(マネージメント)です。私はそれに反対しているわけではありません。それをやりなさい。しかしその場合、本当の意味で「生きる」ということはありません。あなたはただ美しく存在しているだけです。
今、あなたはマインドという牢獄から出るのです。もしあなたがこの教えについて深く考え、そしてディクシャを与え、受け取るなら、何か変化が生じるのがわかるでしょう。徐々に、マインドと呼ばれる牢獄から出て行くのがわかるでしょう。マインドの外に出ると、あなたは自分の考えを見ます。「考える」ということが生じますが、あなたが考えているのではありません。「話し」(スピーチ)が生じており、あらゆる行動が生じているのがわかります。美しく生じており、完全です。あなたがそれらに自己同一化している時のみ、そこに無秩序、不完全性があるのです。ひとたび外に出れば、呼吸、消化活動など全てが自動的に生じています。そこには正しい行動、間違った行動というものはありません。それは完全な行動であり、それ自体で生じています。そしてあなたはその外側にいます。それだけです。その時、あなたが私に質問する純粋な愛を体験しています。マインドの外に出た時、そこにあるのは純粋な愛です。純粋な喜びです。しかし、マインドの中では決してそれを得ることはありません。ですから、それら全てのドラマがマインドのなかで行われています。次に会う時にはあなたがマインドの外に出ていることを願っています。そしてマインドがそこで機能しているのを見てください。
(翻訳:高橋恵美さん)